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高松地方裁判所 昭和31年(ワ)116号 判決

原告

小西兼好

外一名

被告

十河庄平

主文

被告は原告兼好に対し金一〇万円、同福栄に対し金五万円及び右各金員に対する昭和三一年六月二二日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告等の負担、その余を被告の負担とする。

原告兼好において金三万円、同福栄において金一万五千円の各担保を供するときは本判決第一、三項に限り仮りに執行することができる。

事実

(省略)

理由

訴外古市イシが原告等の母であること及び昭和三一年一月七日午後六時二〇分頃、高松市西新通町通り平井菓子店前車道上で、被告の乗用していた原動機付自転車に触れその場に倒れ、直ちに同市天神前の三宅病院に収容手当をうけたが、ついに同日午後一一時一〇分頃、同病院で死亡するに至つたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第二号証の一、二、三、第四号証の一、二、第五号証の一、二、三、第六及び七号証によれば、被告の操縦疾走する右原動機付自転車を右イシに突き当て顛倒させたため同人に被らせた外傷打撲による脳挫傷兼内出血、鼻出血等によりイシが死亡したものであることを認められる。被告は訴外イシの死亡は同女の病弱によるものであると主張するが、乙第一号証、被告本人尋問の結果も上叙死亡原因を覆して主張を認めるに足る証左とならない。却つて証人小森田しげ、同福宮哲二の各証言及び原告両名本人尋問の結果を綜合すれば、訴外イシは老年であるが年相応の健康状況であつて最近病気をしていた事実はなく、死亡当日も元気で相当離れた庵にお詣りをしての帰り途であつたことを認められるので、この点に関する被告主張は採用できない。

次に右甲第二号証の一、二、三によると事故現場は巾員八米余の車道を中央にし、両側にそれより二〇糎位高い巾員三米八〇糎の歩道のある直線平坦な市街道路であるが、当時南側歩道上に歩行を遮るかのように家屋建築工事用の砂が積んであり、そして該工事のため各戸の灯火設備がない(右一月七日七時から八時半頃までの間における実況見分の際「附近よりやゝ暗かつた」)状況であつたことを認められる。そして右甲第二号証の一、二、三、第四号証の一、二、第五号証の一、二、三、第七号証及び被告本人尋問の結果を綜合すると、事故発生当時自動車、自転車等いずれも前照灯をつけて進行していたが、被告は前記原動機付自転車を操縦し、東から西に向かい右車道の左寄りを時速一五キロ程度で疾走し、現場へ差掛つたところ反対の西方より二台自動車が進行して来るのに気付いたが、そのまゝ進行したので、その一台の自動車の前照光で眩惑され、前方注視ができなくなつたに拘らず少し速力を緩めただけで依然進行を続けたため、訴外イシに前方一米位のところに近接した際それを知り、驚いて急停止の措置を採つたけれども右自転車の左ハンドルを同人に突き当て顛倒させたうえ被告もまた顛倒するに至つたような状況であつたことが認められる。この認定に反する被告本人の供述はこれを措信しない。このような場合には原動機付自転車の運転者たる者は停車して自動車の通過を俟つか、またはいつでも急停車できる程度に減速する等して、前方を注視し得られるようになつてから安全を確めて進行すべき注意義務があるのであるから、右認定の如く前方注視ができないに拘らず依然進行を続けたのは、該注意義務を怠つた過失があるというべきである。従つてその結果生じた損害を賠償すべき義務がある。

被告は本件事故につき訴外イシにも過失があると抗争するので検討するに、事故現場は前記の通りであるが強いて歩道を通ろうと思えば通れないことはないけれども、歩道上に障碍物がある場合、それを廻避するため車道を通行することは何人もよくやることであるから、そんな場合車道に出ていたからその者に過失があるとは断定できないけれども、歩車道の区別あるような場合車道を横断又は歩行する者は、尠くとも車が突き当らないことを確めてそれをなすべきであるに拘らず、右認定の事故状況に鑑みるときは、イシにおいて斯様な注意を怠り車道を横断又は歩行していたこともまた事件を惹起するに至つた一因というべきであり軽い意味での過失があつたというべきである。

よつて損害額について判断する。訴外イシが死亡当時六六年八月で統計上その平均余命が一一、九年であることについては当事者間に争がなく、同訴外人が普通の健康状態であつて病弱でなかつたことは前認定したところであるに徴するときは、同訴外人は尠くも今後五年間同程度に働き得たであろうことも想像に難くない。そして原告兼好本人尋問の結果によると訴外イシが生前、同原告稼業の手助をしたり打ち直しの古綿集荷等していたことを窺われないではないが、それによる収入額等の部分はたやすく信用できない。仮りに多少収入があるとしても、他方前認定の如く被害者イシにも過失があるうえ、生活費を要しそれが月幾何になるか一概に言えないけれども、大体高松市内において、老婆が肉親と同居し生活をする場合、食費、衣服費その他の雑費を合わすと最下位の生活で尠くとも月概算三、〇〇〇円を要することは看易いところであるから、多少の収入は自己の生活費を充すに足りないとするを相当とする。従つて得べかりし利益の喪失による損害賠償の請求は理由がない。

次に慰藉料について考えるに、原告兼好並びに福栄等本人尋問の結果によると、訴外イシが原告兼好の廻転焼の仕事をよく手伝い家内円満に暮していたこと及び原告福栄の子供の守をして子供等に土産物を与えたりして可愛がつていたことが認められる。それで原告等がイシの不慮の死によつてかなりな精神的打撃を被つたことは想像に難くないのであつてこの点に反する被告の主張を立証する証拠は何もない。なお原告兼好は小学校を卒業し、父、妻、長男と共に四人暮しで、廻転焼の行商その他で収入は月一万円位であり、妻も日雇をして日給一五〇円位を得辛じて生活を支えて居り、借家に住み家財道具も二〇万円位ものがあるに過ぎないような家庭である。原告福栄は旧制明善高等女学校を卒業し、夫は売薬卸売業を営み、住宅を含めて財産一五〇万円ほどあるが、先妻の子を合わせて一〇人暮しの家庭である。他方被告は、宅地約六〇坪とその上に住宅を構え、教科書販売業を営み年間三五〇万円の売上があり、他に貸家二戸を所有している、また妻は助産婦として相当の収入をあげ、長男も香川県庁に奉職している等の家庭であり相当の営業をし又動産、不動産をも有する中流以上の生活を営んでいるものであることは、原告両名及び被告本人尋問の結果を綜合して認定することができる。そこで原告等の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は前認定の如き被害者の過失及び後記認定の如き被告の支出も斟酌するときは、原告兼好に対して金一〇万円、同福栄に対して金五万円を相当とする。

最後に被告は本件事故について、示談成立し解決済であると抗弁する点について考えるに、原被告等各本人尋問の結果を綜合すると、被告が本件の事故に関して入院治療費葬儀費用その他として約三万円を支出していることを認めることが出来るが、当事者に和解が成立したことを認むべき証拠は何もないので、被告のこの抗弁を採用することはできない。

よつて原告等の請求は、原告兼好に対し金一〇万円、原告福栄に対し金五万円及び右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和三一年六月二二日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を求める限度においてこれを認容し、その余はこれを棄却することゝし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 太田元 坂上弘 西村清治)

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